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「生きずらさ」を語るということ

「生きずらさ」について

いま、「生きずらさ」という言葉がネットでよく取り上げられるようになってきたと、感じている。
これについて思うところを述べていきたい。

 

思うに、「生きずらさ」とは「ある個人が、社会や文化から要請される生き方に適応できないときに感じる苦しさ」のようなことを指しているようだ。

 

例えば、ある高校生が保健室登校をしている、としよう。彼は、いたって普通の高校生活を送っていたのだが、ささいな人間関係のトラブルが原因に、ある日を境に教室の前に行くたびに強烈な腹痛を感じるようになった。

 

彼は、クラスメイトの誰かが話をするたびに、「誰かが自分の悪口を言っているような感じがする」と思うようだ。その背後には、もともと沢山の人間と接する集団生活が苦手な性格があり、それが人間関係のトラブルを火種として悪化したのだろう。

 

 

安易な例ではあったが、「生きずらさ」とは、こういった「ある個人が」抱える苦しさを指している言葉だと思っている。

 

他人の生きずらさを理解することはできない

 

であるならば、いったい誰が彼の生きずらさを理解できるであろうか。結局のところ、彼の苦しみや痛みは彼にしかわからないもののはずである。

 

そして、であるがゆえに彼はより一層苦しむのだと思う。自らの痛みは誰にも分らず、理解しないがゆえに彼の痛みを否定する者すらいるかもしれない、そういった恐怖感に彼は苛まれることになる。

 

 

これは彼の話ではあるが、みんなの話である

ここまでの話はあくまで一例である。

 

 

私が言いたかったのは、『個人の痛みが「生きずらさ」という言葉で可視化されつつあるが、依然として逆風はある』ということである。

 

 

インターネットには、歪んだ言説や悪意に満ちた意見を垂れ流す輩が非常に多い。誰かの「生きずらさ」を否定し、嘲け笑う者が多く存在する。しかし、こういった風潮にめげずに、自らの生きずらさを開示し、それに対処する術を模索し、それを語っていくことには大きな意義があるように感じる。

 

生きずらさを攻略する

 

インターネットに集約された知見が多くの個人を救っている、と本気で思っている。つながることで傷口を抉られることがあっても、それを恐れずに傷口をあえて晒し、同じような傷を持った同志を見つけ、知見を深めていく。それが大切だと思う。

 

Twitterをやっているので、フォローしてもらい何かの一助となれば幸いである。
こういったメンタルの保ち方についてのライフハックも呟いている。

 

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